双極性障害 虎の巻

双極性障害を患った人間が綴る、双極性障害完治への過程や双極性障害とは何かを綴る闘病記

会社員(?)生活も早10カ月続きました。

こんにちは。

 

1月に、

会社員になるためにほかの会社を探すか?

それとも今の会社にパートで残るか?

で、かなり悩んだのですが。

 

結局今の会社にパートで残ることを選択しました。

 

なぜそうなったのかと言いますと、

まず一つ目に、周囲に相談しまくった結果、今の会社に残ったほうがいいという意見が大多数だったこと。

二つ目に、今の会社が居心地がよくて、別の会社に移って今のような快適さが得られる保証がないということ。

この二点を考えた結果、今の会社に残りながら先のことは考える、という方向に落ち着きました。

 

契約の切り替えが4月だったので、4月以降は社員と同様の勤務時間になり、一日8時間みっちり働いております。

はじめの一週間くらいは体が慣れるまで疲れましたが、その後は慣れてきて、何の問題も無く過ごせています。

 

ただ、最近の悩みは、4月以降急に交通量が増え、渋滞にはまる機会が増えたことです(汗

事故も増えたし、雨の日はいつもより10分は余計に時間がかかるし、正直どうにかならないものか…

通勤ルート変えて、少しでも空いてる道に行ったりとか家を早く出たりとか、やれることは全部やってるんですけどね・・・これ以上は正直無理です(´;ω;`)

 

さて、仕事はというと結構順調で、まぁパートなのでそこまで責任の重い仕事をやらされるわけでもないっていうのもありますし、

うちの会社は、パートには基本残業は絶対させない!というある意味ケチな会社でありますので、まぁメリハリついてていいんじゃないかと思います。はい。

 

でも、定時に必ず上がれるって、社員じゃ保証されてない部分ではあると思うんですよね。

うちの会社の社員さん見ても、定時に上がることはまずないし。

それを考えたら、定時に必ず上がれるっていうのは現代じゃ有難いことだったりするのかなって思います。

おかげで、仕事終わりにジム行ったり、買い物したり、友達とお茶したり・・・という余裕が生まれてるわけなので。

 

 

そうそう、最近ジムに行き始めました。

自宅で筋トレは続けてたのですがそれだけでは瘦せなくなってきてしまい、何かもう少し運動を足さないとダメだな、と思ったので、仕事終わりにジムに行くことにしました。

おかげで、少しずつ体が引き締まってきていますし、健康そのものです。

 

主治医の先生にもジム行き始めました!と報告したら、「とてもいいと思うよ!仕事が楽しいっていうのもいいけど、それよりもプライベートが充実してるっていうほうがより健全な感じがするもんね!」と言われました。

通院も月一で続いてますが、最近は本当に気分の波がなくなって、診察での報告も悩みや不安の類がなくなったので、先生もびっくりの変化らしいです。

 

双極性障害の患者さんって、合う薬の組み合わせが見つかるまでに長い年月を要する方が多いみたいですし、気分の波も起きるのが普通のようですが、

私の場合は本当にラッキーで、早く合う薬の組み合わせが見つかったしお陰でもう健康そのものって感じで、正直周りの人が私を見ても誰も”病気持ちの人”だなんて気づかないと思います。

それぐらい、本当に元気です。

 

 

でも、今の生活に全く不安がないわけじゃないんです。

 

やっぱりパートで収入は少ないし、将来のことを考えると不安だし、この前会社で新しく正社員を採用する話をしてて、

「私は金がないから無理だって言われて社員になれなかったのに、正社員取る余裕あるんじゃねーか!!<`ヘ´>」

っていうね。

 

だったらお金がないから社員にできないなんていう言い方せずに、普通に「社員にするにはスキルが足りないから」とか言われたほうがマシだよね。

お金が理由なら納得できない。

 

そのことで今正直また悩んでると言えば悩んでるし、やっぱりわざわざ家から遠い会社に通わなくても、もっと近場で給料同じくらいの会社、それで正社員とか探せばあるにはあるよなぁって思わなくはないし。

でもそうすると、せっかく入ったばっかのジム辞めなきゃいけなくなるし、なにより今の会社で色々気楽な面もあるしなぁっていうね。

 

その天秤ですよね。

 

 

あと、パートって気楽なんですよ。

今まで正社員で働いてきたけど、『社員だから』って無理してた部分があって。

特に体を壊した時の会社は、たくさんのパートさんを使わなくちゃいけなくて

、そのパートさん達への指示だしとかすごく精神的に負担に感じてて、あれで無理したなぁって今は思いますもんね。

 

今は自分がパートという立場に降りたからこそ、すごく気楽で、仕事の責任からの解放とか、本当に精神的に楽で。

社員じゃないからノルマ云々とか無いし、そういう会社の内部事情とか知らなくて済むし。

社員さんは大変だなってつくづく思います。

 

 

そう考えると、会社員でいることは私にはやっぱり”向いてないこと”なのかもしれませんね。

そういうことを煩わしく感じるってことは、それすらも煩わしく感じずにいられる人が会社員に向いてるんだろうし、向いてないことを無理やりにでも続けることは精神的な負担にしかならないし。

 

散々悩んだけど、結局今のパートという働き方は案外正解なのかもしれません。

 

 

タイトルの通り、おかげで今の会社に来てから早10カ月が経ちました。

私の会社員生活って、最長1年半なんですよ(^^;(苦笑)

 

はじめの会社は7カ月、

次の会社は1年、

発症した会社が1年半、

というなんとも短期間な会社員生活しか送れてなくて。

 

まぁ、振り返れば、双極性障害だったっていうのが大きな理由なんですけど、当時は何で自分はこんなに会社員が続かないのかって随分悩みましたねぇ。

でも、気分の波があって、入社当時の”無敵モード”を過ぎると極端な”無気力モード”が訪れるというパターン化していましたから、まぁいかにも双極性障害っぽい生活ですよね。

 

 

でも、こうしてきちんと治療をして薬を飲んでいれば、ちゃんと安定した生活が送れるということが分かりましたし、

なにより、このまま続けられれば最長記録も夢じゃない!という気がしてきました。

 

私が会社員が続かない大きな理由だった『病気』というファクターが取り除かれた今、

会社勤めもできる!

安定した生活が送れる!

健康でいられる!

という証明が出来ています。

 

 

これって凄いことだなって自分でも思います。

 

どんなに体験記とか読んでも、良くなった人の話って出てこなくて、

今も苦労してますみたいなマイナスな話しか無くて。

 

でも、自分が証明したぞ!っていうね。

 

ちゃんと治るし、ちゃんと健康で文化的な生活が送れますよ!っていう。

 

 

それは運もあったと思うんだけど、でも治すための努力を怠らなかったっていう自負もあるし。

諦めないってやっぱり大事っていう。

 

 

今まさに辛くてしんどい状況に置かれている人にも、ちゃんと治るし、治ればこんな生活が送れるようになりますよ!っていうのを届けたいなって思います。

 

 

そんなこんなで、今日はこの辺で。

会社員になるって簡単じゃないね。

ご無沙汰しております。

 

前回の更新からすっかり間が空いてしまったのですが、有難いことにコンスタントにアクセスはいただいておりまして。

更新するネタもできましたので、久々に書いてみようと思います。

 

 

前回の更新から今までの間、いったい何をしていたのかというと、

実は、短期でパートに行っておりました。

というか現在進行形で行っております。

 

なぜそのような形になったかというと、

就職の難しさで悩んでいた頃、主治医との診察の時に、

「もうどうしたらいいのかわからない」

というようなことを言ったんですね。

 

そしたら、

「止まったままじゃいい案も浮かばないよ。とりあえず動きながら考えてみるのがいいんじゃない?短期なら心理的な負担も減るし、合わなくても期限付きだから辞められるし。短期でまずはやってみたら?」

というアドバイスをいただき、それならと早速短期のアルバイトを探しました。

 

そしたら、ちょうどいいのがヒットして、ここならいいかも。と思い応募したところ、よほど急ぎで人が欲しかったらしく、その場で採用されました(笑)

 

そして早速、その次の週から働き始め、初めは3か月の短期という予定だったのが、初めて一カ月が経とうという頃に

「延長しませんか?」

というありがたいお話をいただきました。

 

なんでも、会社の繁忙期は年度末の3月までなので、その時期まで残ってもらえると非常に助かるとのことで。

真面目に仕事してくれるし、ぜひお願いしたいと言っていただき、断る理由もなかったのでお受けすることにしました。

 

その後、正式に延長されて、引き続き働いていたところ、

今度はなんと「社員にならないか?」という話が舞い込みました!

 

正直ビックリですよ!えぇ!?みたいな。

でも、今までの仕事ぶりを認めてくれてのお話だったので、素直に嬉しくて。

それまでどんなに面接受けても通らなかったのに、こんな風に決まるのか…って感じで、ルンルンで主治医にも報告しました。

 

ただし、本社のお偉いさんが了承したら・・・というまだ本決まりではない状態だったので、期待半分、不安半分という感じで動向を見守っておりました。

これが去年の年末までの話。

 

 

そしたら、年が明けて先週の月曜ですよ。

支社長に呼び止められて、

「実は社員になる話、難しくなってしまったんだ・・・」

と言われました。。。

 

何でも、コロナの影響で予算が回ってこず、仕事の受注量も減ってしまう予想だそうで。。

「この状況下じゃなければ社員にしてあげられたんだけど・・・」と申し訳なさそうに言われて、「仕方ないですね・・・」と答えるしかありませんでした。

 

 

正直、会社員になりたいと思っていたわけではない状態からスタートしたパート生活だったので、社員になる話もどこか「本当にいいのかな?」という気持ちではありました。

でも、こうして社員になる話が立ち消えになってしまうと、なんとも言えない無力感に襲われて、

「あぁ、結局私は選ばれないのか」と。

 

今までも就職となると上手くいかなかった日々が思い出されて、

やっぱり会社員は向いてないんだ、私はダメ人間だ、という気持ちになってしまって、主治医に泣きながら話しました。

 

主治医も、

「それは残念だったね。でも、そんな風に自分をダメだと思う必要はないんじゃない?それは過剰な思い込みだよ。少なくとも今回は能力を認めてもらっての話だったわけだし、それがどうにもならない事情で消えてしまったわけで、君が悪いわけじゃない。」

と言われました。

 

でも上手く切り替えられなくて。

 

私は選ばれなかった。

私がダメだったからだ。

今までもそうだった。

大した職歴がないのも、私の我慢が足りなかったから。

我慢できれば今頃違っていたのに。

結局私が悪いんだ。

と、どんどん自分を貶めていって。

 

 

会社に残る道は用意されているんです。

社員にはできないけど、パートでなら残してあげられる、と。

 

でも、決められないんです。

正直社員という目標が消えてしまった今、どう進んで行っていいのかさっぱり見当もつきません。

パートでこのままの時給で働き続けていたら、生活が立ち行かなくなります。

短期だからと我慢できていた時給でも、これが長期となると話は違ってきます。

 

だったら、正社員になれる会社を探す?

でも、また面接で落とされるのが関の山です。

 

じゃあパートで残りながら先のことはゆっくり考える?

そんな悠長なこと言ってられる年齢じゃありません。

 

 

「じゃあどうしたいの?」

 

 

この答えが自分の中に見つけられないんです。

考えても考えても。

 

私って本当に、長期的な展望がないんだなって思い知らされました。

この先どうなっていたい、とか

10年後何をしていたい、とか。

 

いつも目の前のことで精一杯。

だから将来の展望がない。

結局ズルズル今の延長で生きてるだけ。

 

 

本当はもっと安定した生活を送りたいと思っていても、結局いつも不安定。

いつになったら安定した生活が送れるのか?自分にもわからない。

本気度が足りないんでしょうね。

どこか現状で満足しているんですよ。

 

なんだかんだ言って、実家暮らしで住む家もあって食べ物にも困らない。

これじゃいつまで経ってもぬるま湯に浸かってるだけで、本気でやってる人に敵うわけありません。

 

 

じゃあ家を出て自活する?

その勇気も金銭的余裕もありません。

 

卵が先か、鶏が先か、みたいな話ですが、

結局何を取っても中途半端。これが私の人生、私そのもの。

 

 

いい加減、この中途半端さから抜け出さなければ。

今が踏ん張り時なのだと思います。

もう年齢的にも後がありません。

本気で、真剣に、これからのことを考えないと。

 

 

今度こそ逃げずに考えてみようと思います。

では、この辺で。

相変わらず就職の難しさに直面している話。

前回、就労移行支援事業所の話を書きましたが、その後も就職活動は続けています。

 

最近、新しい目標が出来たので、そのためにもどこかに就職してお金を稼ぎつつスモールビジネスを始めてみようかと思ったのですが、その

「就職する」

というのがどうにも上手くいきません。

 

つい先日、興味のある会社の求人が出ていたので早速応募したところ、書類選考は通りました。

まず書類で落とされなかっただけ、今回は進歩したと思って小躍りしながら面接に向かったのですが、結構この面接が曲者でした。。

 

会社の規模も人数も、求人票では小規模だったので、書類選考も通ったし、結構アットホームな感じなのかな?なんて思っていたら全く真逆で、かなりガチ(´;ω;`)

すげー突っ込まれたし、もう面接終わった瞬間に「こりゃ落ちたわ…」って思ったぐらいかなり厳しいものでした。。

 

私みたいな、職歴がふわふわしてる人間なんぞ入る隙なし!って感じで、最近の面接の中でも一番苦しかったです。

だったら何で書類で落としてくれなかったんだ…(;つД`)

 

 

今回のことで改めて考えたのは、「私って本当に就職したいの?」ってことです。

なんとなく今まで就職しなきゃと思っていたけれど、ここまでけちょんけちょんにされて正直自尊心も傷ついたし、なんでここまでして就職活動してるんだろう?って思っちゃったんですよね。

就活が上手くいってないっていうのももっともだけど、それ以上に【就職する意味】みたいなのを考えてしまって、自分がどうして就職したいのかわからなくなってしまったんです。

 

  • 安定した収入が欲しい?
  • 会社員という肩書きが欲しいから?
  • 勉強したいから?

そういった全部をひっくるめて就職しようとしていたはずなのに、今頭に浮かぶのは、「上手くいかなかったときどうしよう」

とか

「会社辞めるとなったらまた大変な思いをしなきゃいけないのか…」

とか、そういうネガティブな感情です。

 

 

なんだろう、やっぱり根本的に会社員に向いていないんだと思います。

以前主治医との対話の中でも「会社員には向いてないね」って言われていたように、その通りになっているというか、会社員になることすら叶わない現実がそれをより強固なものにしていっていると思います。

 

 

どうしても、「一生その会社で働く」みたいなものがイメージできないんです。

就職するモチベーションも

「ここに入ったら、○○を勉強できるかもしれない」

といういわば『踏み台にする』っていう発想なんですよね。

そこにずっといたいわけじゃない。

 

でもそしたらいつかは辞めるわけです。

そうしたらまた大変な思いをするのは自分です。

今までも、会社を辞める際には大変な思いをしてきました。

決して気分のいいものではありません。

 

それをするとわかっているのに、それを超えてもなお就職したいか?と問われると、そこまでして就職したい会社なのか?という疑問が湧いてきてしまうんです。

以前は若かったし、ただ就職できるならラッキー♪くらいにしか思わずに簡単に就職していました。

けど、そこで経験したのは決して楽しいことばかりじゃなくて、辛いことも多くて、組織に所属する難しさみたいなものを毎回感じていました。

所属するのは簡単だけど、辞めるのは難しい。

それを毎回感じて身を削られる思いで辞めていったのを思い出してしまう。

 

それを自分はまだ経験したいのか?

あんなに嫌な思いをしたのに?

 

そう思うと、就職したいという思いも霞んでいってしまうのです。

 

 

「じゃあ、これからどうしたいの?」

と問われると、まだ確固たる軸があるわけじゃなくて、どの道を進もうか踏ん切りがつかないのが現状です。

 

やりたいことはあるけれど、それすらも一時的なブームなのか、それに人生をかけてしまっていいのか自信がありません。

 

それでやってみて失敗したら?

また会社員に戻ろうと思っても、もう年齢的に厳しくなってしまうでしょう。

だからここは慎重にならざるを得ないんです。

 

この就職は今後の人生を左右する大きな決断になるでしょう。

 

それを一時的な自信のなさで諦めていいのか、

最後まで就職にこだわるのか、

それとも会社員は捨ててフリーになるのか。

 

いずれにせよ大変だということは確かです。

決断するということは何でも苦しいことですね。

でも、今回ばかりは昔のように行き当たりばったりで就職するような状況ではないので、よく考えて慎重に検討したいと思います。

 

まだ考えはまとまりませんが、自分の気持ちとよく向き合ってみます。

では、今日はこの辺で。

障害者採用に応募したけどダメだった話。

前回、企業の障害者採用枠に応募したとお話ししましたが、その結果です。

 

私が応募したのは、障害者専門の求人サイト『ウェブサーナ』で、インターネット上で応募が完結する手軽さと求人数の多さから、こちらを利用しました。

 

応募には、職歴と志望動機・資格・自己PR(各1000字以内)を書いて提出するのですが、2社ほどウェブ上で応募したのですが、どちらも書類で落とされました(T_T)

 

敗因があったとすれば、

志望動機が煮詰まっていなかったこと

障害が【精神疾患】であること

くらいしか思いつきません。

 

まぁ、職歴も微妙っちゃ微妙なんですけどね。

でも、大きな要素は上記の2つだと思います。

 

 

今回の件で分かったのは、やはり精神障害者が就職するのは至難の業だってことです。

だって、多分ですけどこれ、身体障碍者だったら通ってた可能性あるんじゃない?って思いますもん。

少なくとも書類選考は通った可能性はあるかと。

立派な職歴ではないですが、それなりに真剣に仕事してきましたし、色んな経験してるし、なぜ書類も通らないのか意味わかんない。

これぞ八方塞がりです。

 

 

障害者採用枠にはちゃんと精神障害者も入ってるんです。

なのに、その障害者枠ですら通らないって、じゃあどこなら通るんだよって話ですよ。

これはもう、手帳を取得するとかしないとかの問題じゃないです。

障害者手帳を持っていようが何しようが、障害者枠でも一般枠でも通りません。

なので、障害者手帳の取得は止めます。それに、障害者手帳の取得ってめっちゃお金かかるし大変だって聞くので、私の場合は取得するメリットがまだ曖昧なのでよほど必要にならない限りはしないと思います。

 

 

今回の件で分かったのは、「精神障害者が自力で就活するのは限界がある」ってことです。

何がいけなかったのかわかんないし、それが障害の内容だっていうなら、もうどうしようもないじゃないですか。

それでも採用してくれるところを探すなら、これはもうどこか就業を手伝ってくれる場所を探さなければなりません。

 

と言っても、思いつくのはハローワークくらいで、あとは必死にインターネット検索をしてそれらしい場所を探すくらいなのですが。。。

 

 

と思っていたら、ありました!

『就労移行支援事業所』!

って何(^^;

 

リワークの検索をしていたところ、出てきた名称なのですが、要は障碍者の就労を手伝ってくれる施設のようです。

 

家から一番近い事業所が見つかったので、早速連絡してみます!

どんな施設かは、また後程リポートできたらと思います(^^)

就労移行支援事業所って何をしてくれるの?何ができるの?体験に行ってみた。

最近の就職活動の延長で、とある場所に見学に行ってみました。

それはどこかといいますと、『就労移行支援事業所』です!

 

なぜこの場所に見学に行こうと思ったかと言いますと、

自力での就活に限界を感じていたところ、障害者の就職についてあれこれ調べているうちに、リワークプログラムの一環?延長?として、この事業所の名前が出てきたんですね。

どうやら再就職のための諸々を手伝ってくれる場所のようだ、ということが分かったので、家の近くの事業所を探して見学に行くことにしました。

 

 

まずは、見学の予約を取ろうと思って、最初に就労移行支援事業所の名前を見たサイトを思い出そうとしたのですが、思い出せず…

でも、事業所の名前は憶えていたので、直接その事業所のサイトを見に行って、見学の申し込みをしました。

私が見学に行ったのは『ウェルビー』という事業所。

申し込んだのが午前中で、その日のお昼頃にはすぐに電話がかかってきました。早っ!

その電話で、見学の日時を決めて、後日見学に行くことになりました。

 

もう一つ、その近くに別の会社が運営する就労移行支援事業所があったのですが、そこは見学申し込みをしたものの返事が来ず(^^;なので諦めました。

 

 

見学日、特に持ち物はなく、約束の時間に事業所(センター)にいきました。

玄関を入ると、すぐ目に入ってきたのが、何人もの人が机に向かい合って作業をしている姿。こんなに人がいるのか!とまずビックリ。

別室に通されて、まずはアンケートを渡されたのでそれを記入します。お茶も出してくれました(^^)

アンケートの記入が終わったころ、それを基にさらに細かく現状について聞かれます。

体調面はどうか?通っているクリニックの名前は?どういったことが苦手か?いつから発症したか?などなど。

 

それらの聞き込みが終わってから、センターの利用説明に入ります。

まずは見学 → 体験を申し込む(計3日)→ 利用したいと思えば居住する自治体に利用申請を行う → 申請が通れば利用を開始することが出来る(最長2年間、場合によっては3年)

という流れとのことです。

 

そして、具体的にどんなことを毎日やっているのか?ですが、

・タイピング練習をしてWordやExcelに慣れたり、ビジネス文書を打てるように練習したり

・軽作業トレーニングでは、ゼムクリップを色別に分ける速さを測定したりプラグタップの分解や組み立てをしたり

・グループディスカッションでは、テーマに沿ってみんなで意見を出し合ってそれを進行係や議事録をつける係など分担してまとめたり

・ビジネスマナー研修では電話応対やメモの取り方、敬語の使い方、身だしなみや名刺交換の仕方などを学んだり

・企業実践では、実際の会社に見立ててスタッフからの指示を総務部、営業部、企画部、広報部、などのグループごとに遂行する

といったことをやるそうです。

 

私が行ったセンターのカリキュラムはこんな感じでした。

f:id:rs18goal:20210701162754p:plain

就労移行支援事業所のカリキュラム表

こうやって書くと、意外と基本的なところからやるんだな、という印象でした。

もっと、就労支援センターというからには就職に特化して支援してくれるのかと思ったのですが、日々行うのは上記のような意外と地味な作業ばかり。

そもそもの目的が『障害者の就労支援』ですから、いろんな障害を持つ人が来ています。精神障害だけではなく、知的障害や聴覚障害の方などもいます。

そういう色んな障害を持つ方に合わせてカリキュラムを組むと、どうしてもベースが下がります。

 

また、見学に行ってから分かったのですが、ここは就職のあっせんをしてくれるところでは無いということです。

そういうのはハローワークに行ってください、ということなんですね。

 

じゃあ、ここは就労支援って何をしてくれるの?というと、

応募書類の添削や模擬面接をしてくれたり、面接に同行してくれたり、会社と話し合って体験実習をさせてもらえるように交渉してくれたり、その実習に同行してくれたり、就職した後も、定期的に会社に訪問してその後の定着を支援してくれたり。

そういったこともしてくれます。

総合的に見て、「障害者の就職のための準備から就職後までをサポートしますよ」という場所なんですね。

障害者の就職ということを考えれば、相当手厚いサポートをしてくれる場所なんだな、という印象でした。

 

 

ただし、原則として、最低3カ月間は毎日通うことが求められます(^^;

それをやって初めて就職に繋がります。

なぜかというと、障害者を雇う企業側も、障害者を雇い入れるということには慎重になります。体調が安定していないと、すぐに休まれては仕事になりません。ですので、体調が安定していることを示すためにも毎日センターに通い続けて、「この人は体調も安定していて就職に不安はありませんよ」という実績を作る必要があります。

実績を持って初めて安定した就職に繋がる、という考えのようで、この3か月という期間が短くなることは無いようでした。

 

 

これを長いと感じるか、妥当と思うかは人それぞれですが、私は正直「長い!」と思ってしまいました(-_-;

3カ月基礎的なトレーニングをやるのか、と思うと正直飽きる…退屈…大学生の就職活動を思い出す…という感想です。

でもこれが就職に繋がるなら我慢して通うべきか・・・と悩みどころではあります。

 

この就労支援センターに行ってみたことを主治医にも報告したのですが、

「色んな人が来てるからベースが下がっちゃうんだよねー。そういうところだと退屈だと感じるかもね。そういう場所に通うことよりも、自分に合った職場や環境さえ見つけられればいいような気がするけどね。」と言われました。

そう言われるとその通りのような気がします。

 

でも、せっかく体験を申し込んだので、計3日間の体験に行ってみることにしました。

 

 

グループディスカッションはこのご時世なので、寄せ集まって討議するわけにいかないので、テーマに沿って自分で考えたことを発表する、という形が取られていました。

順番に発表して、ほかの人の発表を聞いて更に考えたことを話す、みたいな感じでした。

 

その日は見学だけしたので、「あぁ、こんな感じかー。やっぱり大学生か高校生の授業みたい」という感想でした(^^;

 

 2日目は、企業実践の日でしたが、その日は3か月を1クールとしたその1クール目が終了して新しいメンバーで1クールが始まる日でしたので、それぞれの部署でどんなことをするのか?の説明で大部分が終わってしまい、かつ私は体験生なのでその輪には加わらずウェルビーの説明を職員さんから聞くだけの時間になってました。

 

3日目は、朝から終了時刻まで1日体験することになりました。

朝はラジオ体操から始まり、タイピング練習をしました。その後、仕分け・帳票整理といって、各部署宛てに郵便物が届いた想定でカードに書かれた部署ごとに仕分けをする速さと正確さを計測し、続けて同じカードで市区町村ごとに仕分けて、かつ注文番号降順に並べ替える作業をしました。

これが地味に疲れる(^^; 立ちっぱなしで作業しなきゃいけなくて、細かい文字を見るしわざと紛らわしい文字列にしてあるし、トータル50分かかったのでその間の集中力が試される作業でした。

午後は、就活プログラムで、履歴書の書き方の説明を聞きました。そして、個別課題の時間は、私は電卓計算をやりました。こちらもレベル別に難易度が違う問題が用意されているのですが、私は初めてということで真ん中のレベルの課題をやってみました。

こちらもトータル50分の課題で、3桁から4桁の数字の足し算をして合計を出す作業なのですが、これも50分もやれば疲れます(^^; しかもタイム計測しているので休めない。。普通の仕事なら、そんなずっと集中しっぱなしで作業することなんてないじゃないですか。疲れたら休むし、自分のペースでやるし。だからここのプログラムのほうが過酷だなって感じました。もちろん私が初めてだからっていうのもあったとは思いますが。

そして最後に、この3日間の感想を聞かれて終わりました。

 

3日間体験してみて、まぁ悪くない施設だったと思います。

障害者の就労をサポートしてくれるというコンセプトに合っているし、用意されたプログラムも、もっと簡単かと思ったけどそれぞれのレベルに合わせたものがちゃんとあるし、これなら悪くないなと思いました。

しかし、ネックはやはり3か月という最低通所期間。そして、タイピングや仕分けや電卓計算なども、初めてだから楽しめましたが3カ月もやってたら絶対飽きます。

その辺をどう考えるかですね。

 

また、障害者手帳を持っている方はあまり問題ないんですが、私のようなまだ持っていない人間は、主治医の診断書の提出など手続きがややこしくなります。

この前主治医にも、あなたには必要ないかもね~と言われているので、それを覆すほどの興味が私の中にも沸いていないのも事実。

 

 

そんなこんなで、行ってはみたもののどうしようかな~、と考えているのが現状です。

ハローワークに行って障害者担当の窓口の方とも話したら、「就労移行支援事業所って、事業所さんごとに内容がかなり違うんですよ。他の事業所も見に行ってみるといいですよ。」と言われて、更に就労移行支援事業所ではなく、本当に”就活のサポートに特化した事業所”を紹介されました。

そんなところあったのか!という衝撃と、私が欲してたのはこれ!感と、もっと早くハローワークにも相談すればよかった・・・と思いました(^^;

そんなこんなで、新しい選択肢も増えましたので、また一から考え直しとなりました。

 

 

今回のことを総括すると、

・就労移行支援事業所は、個々人のレベルに合わせたプログラムを用意してくれて、足りないところを底上げしてくれるところ。

・集団生活を体験でき、自分の強み・弱みを発見できる場所。

・就労に際しては手厚いサポートをしてくれるところ。

ということが分かりました。

 

自分の中で、まだ就労に際して不安があるとか、この部分が足りないから補いたい、などの目的があれば通ってみるのもいいと思います。

障害者の就労という意味では一つの選択肢になり得るのではないでしょうか。

 

というわけで、今回は、就業支援事業所体験記でした!

30代の精神障害者の再就職、現実は難しい。障害者手帳を貰ったほうがいい?

さて、ここ最近になってようやく、本格的に就職活動を始めました。

 

これまでは、

傷病手当金 1年6カ月 → 雇用保険(失業手当) 300日

が受給出来ていたので、収入面で心配はなかったのですが、

その雇用保険の受給期間にいよいよ終わりが見えてきて、ようやく重い腰を上げて就職活動をすることにしたわけです。

 

今まで就職活動に積極的じゃなかったのにはもう一つ理由があって、

私は会社員は向いてない、と診察を通して主治医からも言われていました。

なので、月1回のハローワークでの職業相談も、あまり具体的な就職の相談はしてきませんでした。だって会社員になる気がなかったから(^^;)

 

しかし、いよいよお金が無くなってくると、どうにか収入を確保しなきゃいけないわけです。

そこで、再度先生に相談してみました。

すると、「以前のままの状態だったら会社員は勧めなかったけど、今のあなたはとても変わったし、ここに初めて来た頃よりは大丈夫な気はするよね。だいぶ考え方とかも柔軟になってきてるし、前のような0か1かみたいな思考じゃなくなっているから。でも、体調の悪化を防ぐためにも、そこで何を実現させたいか?という動機づけは重要だと思う。」

と言われました。

 

なるほど。以前だったらダメだったけど、今なら会社員もイケるわけか。

そう言われると、自分の中でも選択肢が広がるのを感じました。

 

 

「会社員」という選択肢が増えたことで、ハローワークに行っても以前より積極的に話をするようになりました。

こういう風に考えているのだが、どうだろうか?どういう仕事が向いているだろう?と、ハローワークの職員さんにもアドバイスを求めるようになりました。

自分でも積極的に仕事探しをし、インターネット等で求人情報を見る日々。

気になった求人には積極的に応募もしました。

 

 

しかし、現実はなかなか厳しい。。

なかなか書類選考も通りません。

 

面接まで行けても、私の場合は家が田舎なので、求人がたくさんある都会に通うとなると片道1時間近くかかってしまいます。

それがネックとなって落とされる。。。

 

また、私の場合は、3社経験してますが、正直どこの会社も長続きしてません。

発症時の会社が一番長続きしてましたが、それでも2年に満たず。

これは、双極性障害だからなのか?それとも私の気質なのか?はわかりません。

ですが、双極性障害患者は転職回数が多いのは事実らしいです。

「転職回数が3回以上ある鬱症状の人は、双極性障害を疑え」と医者向けのガイドラインに書いてありました。

双極性障害患者の多くは、人間関係でのストレスを抱えやすいという特徴と合致しているのだと思います。

 

 

・転職回数が多い

・どこの会社も長続きしない

・家が遠い

・既に30代

・なおかつ精神障害者

 

正直、就職できる気がしません(TT)

 

 

精神障害者だということをオープンにして就職活動してたわけじゃないんです。

その状態ですら書類選考に通らないのに、そこに精神障害者が加わってどうして就職できるのでしょう?

 

 

正直、今までは軽く考えてたんです。

前の就職までは、全然苦労せず内定をいただけていました。

直近の会社も、向こうから「ぜひ来てくれ」と言われての就職でした。

その前も、アルバイトに行った先でスカウトされることはあって、全然就職活動で苦労した思い出がないんです。

 

それは、まだ20代だったから。

と今ならわかります。

 

でも、もう30代。おまけに3社経験していて、どれも2年未満。

しかも、退職後すぐに次の就職をしているのではなく、毎回必ず期間が空いている。

何かあるのでは?と思われるのは当たり前です。

でも、今まで就職で苦労したことがなかったので、ここまで苦労するとは思わなかったんです。

「まぁ3カ月もあれば決まるだろう。」なんて甘く考えていた自分をぶん殴りたいです(TT)

 

 

これが、都会だったらまた違ったのかもしれません。

転職エージェントも利用したのですが、エージェントが言うには、

「学歴も申し分ないし、職務経歴書の内容も素晴らしい。都会だったらすぐ決まりますよ。」

と言うんです。

まぁそうやって求職者の気分を乗せているのかもしれませんが、その言葉が本当だとするのなら、都会なら交通費がネックで切られることはないのかな?とは思いました。

 

しかし、ここは田舎です。

都会ほど仕事があるわけではなく、あっても希望とマッチしません。

もう八方塞がりです。

 

 

普通の就職が厳しいという現実はよくわかりました。

であれば、ここからは考え方を切り替えていく必要があるのかもしれない。

 

今までは精神疾患をオープンにしてませんでしたが(寛解してるので必要ないと思った)、これからはオープンにしてなおかつ『障害者採用枠』を狙うのもアリなのでは?と思ったのです。

 

今までは、障碍者採用は障害者手帳を持ってる人だけのものでしょ?と思っていたのですが、事実、精神障害者障碍者採用枠での雇用をしてもらえます。

もちろん、企業の障害者雇用率のカウントに加えるためには障害者手帳が必須になりますが、私の障害を考えれば、手帳の取得を考えるのもアリだと思ったのです。

 

双極性障害の5年後再発率は80パーセント以上とも言われています。

今は寛解していても、5年後はわからないわけです。

一般就職をして、5年以内に再発をする可能性は十分にある。そういった人間に採用段階から特段の配慮を得られるのか?まして障害者採用枠ではない一般採用で?

 

でも、これが障碍者採用なら?

そもそも、障害に配慮した採用条件にしてもらえるし、再発を防止するような環境を用意してもらえる可能性が高い。

一般就労よりも5年後を考えた場合にずっといいのはどちらか?と考えたのです。

 

だとしたら、選択肢はさらに広がります。

まず、障害者採用枠への応募が可能になりました。

一般採用+障害者採用枠

これなら選考通過率も多少上がりそうです。

 

 

次に考えるべきは、手帳の取得です。

これは主治医と相談する必要があります。

主治医がいらないという可能性もあるし、主治医が取得してもいいと言ってくれるなら診断書を書いてもらえばいい。

問題は、私の状態で障害者手帳の審査が通るかどうか、ですね。

 

寛解しているし、特段の援助も必要としていない。

身の回りのことは自分でできる状態だと審査がもしかしたら通らないかもしれません。

この辺は正直、医師の書く診断書の内容次第なんでしょうね。

本気で取得を目指すなら、そういった内容で書いてもらうのがいいと思います。

 

 

というわけで、まずは障害者採用専門のウェブサイトから企業に応募してみました!(^^)

手帳は「申請予定」で応募が出来ましたので、あとは選考結果次第で、医師に手帳取得の相談をしようと思います。

 

また、選考の結果が出たらご報告しようと思います。

寛解後、前の会社に挨拶しに行ってきた話。

またすっかり更新をサボっていたこのブログですが、久々にあれこれ思うところがありまして、つらつらと書いてみようと思います。

 

まずその前に、2か月ちょっと前に、前の会社(発症時に勤めていた会社)に挨拶をしに行ってきた話をしたいと思います。

 

 

すっかり体調も安定し、主治医の先生からも「寛解と言っていいんじゃないか」というお言葉をいただき、日常生活を送る上では何の心配もいらなくなっていました。

薬は飲み続けていますし通院も続けていますが、それ以外はもう普通の人です。

今までなんとなく気後れして言えなかった「私は元気」という言葉も、自信を持って言ってもいいんじゃないか?と思い始めていました。

 

そして同時に、元気になったのだから今こそ実行したい!とかねてから思っていたことがありました。

それは、「前の会社に訪問すること」

 

なぜこれをやりたいと思っていたのか?というと、前の会社の方々には大変お世話になってとてもよくしてもらっていたのに、病気になったことで最後はきちんと挨拶もできずに辞めるしかなかったことがずっと心残りでした。

病気になってしまったのですから、周りの人から見たらいい職場じゃなかったんだろうと思われるかもしれませんが、決してそんなことはなく、人は皆さんいい人ばかりで温かく、今でもあの会社は良かったと思いますし、実際とてもよくしてもらいました。

私のような、会社勤めが長く続いた経験がないような人間を「うちならきっと大丈夫だよ」と拾ってくれたのが、前の会社でした。

そして実際、今までで一番長く勤めることが出来た会社でもありました。

 

ですから、退職せざるを得なくなった時もとても残念でしたし、会社側も「元気になったら戻っておいで」と言ってくれていたのです。

その言葉もあってか、きちんと元気になった暁には、「元気になりました」とご報告をしたいと、前々から思っていたのでした。

 

それと、ご挨拶しに行きたいと思っていた最大の理由ですが、

実は私が退職すると同時期に、先代の社長が亡くなられてしまったのです。

 

突然のことで、社員全員とても動揺しましたし、実際とても大変だったようです。

それなのに、私はそんなときでも何もできず、ただただ自分が惨めでした。

そして何より、私を拾ってくれたのが先代の社長でしたので、何の恩返しもできないまま会社を去ることしかできなくて、葬儀に出席することもできない、そんな自分が惨めで堪らなかったです。

 

 

月日は流れて、あれからちょうど2年が経とうとしていました。

ちょうど三回忌の時期です。

私はすっかり元気になりました。このことをご報告するなら今しかない!そう思ったのです。

 

 

早速主治医に相談しました。

ですが、案の定、即却下!!

 

先生の言うには、

「発症場所というだけで非常にリスクが高い。会社の敷地内や駐車場に到着しただけで具合が悪くなってしまう人もいる。会社以外の場所で会社の人と会うなら全然問題ないけど、会社に行くのはお勧めしない。毒ガスが充満している中に自ら飛び込んでいくようなもの。」

というなかなか過激な言葉で諭されました(´;ω;`)

 

 

ですが、諦めの悪い私は、今回ばかりは譲れない!と強行突破することにします。

実は今回、会社に訪問する理由がもう一つありました。

それは、私の親戚の子を会社に連れていく約束をしてしまったのです(^^;)

前の会社はちょっと特殊な会社でして、専門業者が県内にもあまりない業種だったのですが、そのレアな専攻を私の親戚の子が大学で勉強しており、ぜひアルバイトさせてほしい、ということだったのです。

 

ちょうど、会社に訪問するタイミングを見計らっていた私には渡りに船でもありました。これで会社に行く口実が出来たのですから。

早速会社に手紙を出し、元気になったこと、先代社長の三回忌に合わせて訪問したいこと、またその時親戚の子を連れていきたいことを書いて、返事を待ちました。

そして1週間後、ぜひ遊びに来てください、というお返事を貰えたのです!

 

ここまで来て行かないなんて有り得ない。何が何でも行くしかない!と覚悟を決めて、先生ごめんなさい!と思いながら会社に行くことにしました。

もし、体調に異変を感じたら、親戚の子だけ置いて私は一旦退散しよう。とか、何かあった場合のシミュレーションもしっかりしてから行きました。

 

 

訪問当日、会社が近づいてくるととても緊張してきました。

会社に着くと、まず自分の体調の変化を確認しましたが、異常はありません。

そして、社内に入ると、そこには懐かしい面々がいらっしゃいました。もうそれだけで泣きそうになりました。よく来たね、と言ってもらい、「あぁやっとここに来ることが出来た」と感慨深いものがありました。

そのあと、親戚の子を社内案内してくれて、一通りの見学を終えた後は、お菓子まで出していただいて、昔話に花を咲かせることが出来ました。

気づけば3時間近く、すっかり長居をしてしまいました。

 

 

そして結果はというと、私の体は全く問題ありませんでした。

「毒ガスの中に突っ込んでいくようなもの」と言われていたけれど、毒ガスは充満していなかったのか、それとも毒ガスにもびくともしない体になったのか。

いずれにせよ、私は無傷で帰ってくることができました。

 

 

後日、このことを診察で報告すると、先生はのけぞっていましたが(^^;)

短時間だから(実際は短時間じゃない笑)良かったようなものの、本当に体調悪くならなかったのが奇跡で、相当な無茶したんだよ?と諭されました。

先生ごめんなさいm(_ _)m

 

 

でも、たとえ無茶をしてでも先生の言うことに背いてでも、今回だけはどうしても行きたかったので、その点は後悔していません。

むしろ、そのくらいの覚悟があったからこそ、体調も問題なく、毒ガスにも勝つことが出来たのかもしれません。

 

 

ですが、今回のことはあくまで結果がよかったから良いものの、一歩間違えばまた体調不良に陥っていた可能性もあります。

本当に一か八かの大博打でしたので、皆さんには決してお勧めしません。

絶対にマネしないでください(^^;)

 

 

とはいえ、これで私の心残りも無くなりスッキリしましたので、あとは就職活動を頑張るだけ!

次は就職活動の様子などを綴っていきたいと思います。