双極性障害 虎の巻

双極性障害を患った人間が綴る、双極性障害完治への過程や双極性障害とは何かを綴る闘病記

回復期(中期)の症状とどのように過ごしていたか(4)初めて躁を自覚する

躁の時の気分の波

さて、前回は混合状態の経過の話をしました。

今回はその続きです。いよいよ躁が出現します。

 

グラフで当時の状況を表してみました。

波の高い位置が正常範囲を逸脱しているのが分かるでしょうか?

また波の低い位置(うつ)でも正常範囲なので、この頃はひたすら躁が目立っていた時期でした。その頃の話です。

 

 

混合状態の私は、ある日は調子が良くてまたある日は調子が悪くて、

また、朝起きた時は調子が良くても2時間後には調子が悪くなってたり、死にたくなったりしていました。

 

そんな日々がいつまで続くんだろうなぁ…と心配していたら、突然変化が起きました。

 

 

ある日、朝から調子が良くて「今日はいい感じだな~」と思っていたのですが、その状態がどんどん加速していく感覚に襲われました。

「あれ?今日は変だぞ?どんどん楽しくなっていく。おしゃべりも止まらない。ずっと喋ってたい!」

 

今まで、自分が双極性障害だとイマイチ信じられなかった私でしたが、この日の私はずっとハイテンション!楽しくて楽しくて仕方ありません。

「ああ!これが躁か!」

と自分でもはっきりと自覚した瞬間でした。

 

 

その日は結局、一日中ずっと喋っていて、家族に「うるさいから少し黙って」と言われる始末。

それなのに

「うるさいとは何だ!私は喋りたいんだ!喋りたいのをなぜ止めるんだ!」

とかえって火に油を注ぐ結果となってしまいました。

 

 

その日以降、自分も家族もはっきりと分かる躁の状態が続いていくことになります。

その頃によくあるスケジュールはこうです。

 

まず、夜寝てない。

夜寝る前に、「明日起きたら、あれをして、これをして… いや待てよ。その前にあれをやってからだ!そうしたら順番は、あれで、それで…」

こんなことを考え始めてしまって、寝るに寝れません。

 

そして、寝たとしても中途覚醒の連続です。

夜中の2時半に起きます。

また寝ます。

4時に起きます。

また寝ます。

7時に起きます。

もう寝れません。

 

もう目がはっきりと冴えてしまって、朝起きてからは早速寝る前に考えてあった予定を張り切って、その通りにこなしていきます。

朝からメルカリに出品する商品の撮影を始めたり、もう滅茶苦茶でした。

 

いつもの一通りの家事を終えても、更にそこから散歩に出掛けたり、自分の部屋の掃除をしたり、毎日のように外出して買い物に行ってみたり、もうとにかく落ち着きがありません。

 

 

2階から1階へ降りてきて、忘れ物をして、また2階へ取りに戻らなければならないという時、

平時なら「面倒くさいなぁ~」と思うところをこの頃は、「それすらも楽しい!」と思っていました。

わざとそうしているわけではないのですが、頭の中がすぐ次のことに切り替わっていて細かいところを見落としていたり、忘れ物が頻発したり、

それで取りに戻ることになっても、それでも全然苦じゃないんです。

忘れ物をして取りに戻ろうがそれすらも楽しいので、とにかくずっと動き回っていたい、その状態が楽しくて仕方なかったのです。

 

 

また、この頃すごかったのが衝動買いです。

財布を買ったり、バッグを買ったり、靴を買ったり、ネックレスやピアス、コートを買ったり…

とにかく物が欲しくてしょうがないんです。

それこそ、一日中ショッピングサイトをチェックして、あれがいいかな、これがいいかなと買いたいものを漁ったり、

寝る前も興奮していて、その時にネットを開いちゃうともう、眠れないんです。

寝る前に「あれが欲しい!」と思って、「いや、でも最近買いすぎだからもう少し考えてからにしよう」と思うんですが、もうその買いたい衝動は抑えられなくなっていて、夜もそのことを考えながら寝ているので、当然眠りも浅く、朝早く起きて結局考え直すでもなく「欲しいから買っちゃお!」と衝動買いをしたり…。

夜中にどうしても欲しくなって、バッグと財布を買ってしまったなんてこともありました。

 

 

またこの頃ハマっていたのが「ヤフオク」です。

一番手を出しちゃいけないやつです(^^;

 

でも、あのオークションで競り落とす感じがたまらなく面白くて、ドはまりしていました。

オークションで買ったものも結構あります。

ネックレス、ピアス、コート、靴…

どれも素敵なものだったし、買ったことに今後悔はしていないのですが、それでもこの頃はとにかくお買い物中毒でした。

 

 

そんなに買い物をしていたのに、私が使っていた金額は高くても数万単位だったので、主治医からは「十万単位になったら危ないけど、そこまでじゃないなら」と言われました。

「こんなに楽しくてお金も使っているのに、それでも軽躁状態なんだ!だとしたら本当の躁の人(Ⅰ型の人)ってすごいんじゃないか?」

と思ったりもしました。

だからといって、まだ余裕があるからもっとやっていい、という話ではないのですが、あの頃のすごさをも超える人たちがいるという事実にびっくりします。

 

 

また、楽しいと同時に、イライラもしていました。

もう、想像すること全てが怒りに満ちていて、怒るために怒っている、というのが正解だったかもしれません。

 

わざわざ自分で過去の嫌なことを思い出しては、もう一回怒りなおしているんです。

その怒るシミュレーションというのがまたすごくて、そこで嫌なことをされた相手に対して、とにかく罵詈雑言を浴びせるんです。

如何に自分が怒っているのかを表すために、とにかく口汚く罵ってやりたい、という欲求が生まれていました。

 

妄想なのでいくらでもできます。

いくらでも出来るから、いくらでもそのシミュレーションをしてしまって、現実世界でも怒っているのです。

怒りを現実に引きずったまま生活していましたから、もう無茶苦茶です。

実際、現実世界で知人に当たり散らしたこともありました。

 

 

怒るは、ハイだわ、落ち着きはないわ、買い物中毒だわ、

もう躁状態に出現すると言われるものは全て、といっていいほど躁状態の真っ只中にいました。

 

 

この躁の状態、結局1カ月は続いたと思います。

この間、薬も増量しました。

前回、ラモトリギンを増やしたら、体に痛みが出てダメだったので、今回は「アリピプラゾール」を追加しました。

始めは12㎎で飲み始めて、躁の状態が落ち着いていくに従って減量していきました。

 

アリピプラゾールを飲み始めてからは調子がよくなり、気分も安定し、著しく逸脱した躁の状態というのはなくなっていきました。

徐々に気分の波が上下ともに、正常範囲内に収まってきたのだと思います。

 

 

さて、今回は躁の状態を記録していきました。

次回はこの続きで、躁が落ち着いて以降の経過を綴っていきます。

回復期(中期)の症状とどのように過ごしていたか(3)混合状態の出現

前回は、死にたい気持ちが繰り返し襲ってきた鬱期の話をしました。

今回はその続きです。鬱の後の経過を綴っていきたいと思います。

 

 

死にたい気持ちを毎日抱えたまま寝ていることしかできなかったのですが、ある日の診察で主治医と話した結果、薬を増やすことになりました。

 

飲んでいたラモトリギンを今まで1錠だったものを2錠に増やしました。

「これで良くなる。」そう思いました。

 

 

効果は割と早く出ました。

気分が上向きになってきて、毎日寝ていたのが日によっては気分もよくなり、出掛けたいと思えるようになりました。

実際、それまで寝ていることしかできなかったのが、近所を散歩したり、運動したりといったことが出来るようになりました。

 

こんなに早く結果が出るのなら、自力でどうにか鬱にならないようにしようなんてバカな事考えずに、我慢せずに薬を飲めばよかった。

そう思いました。

 

 

しかし同時に、なんだか体がおかしな方向に行き始めました。

まず、酷い肩こりに見舞われました。

どうも背中から肩の辺りが張ってしまって、痛いのです。

それと、酷い便秘です。

薬を増量してしばらく経って、どうにもお腹の張りがすごくて、苦しくなってしまいました。ガスも出ません。

 

しかし、そういったことは薬の副作用としては書いてありません。

しかも今までも飲んでいた薬です。今回初めて飲んだ薬ではありません。

量を倍に増やしただけでそんなに変わるの?と疑問に思いましたが、どうやら私は薬の量に敏感に反応するタイプのようで、自律神経が狂ってしまったのか、そういう症状が出てしまったようでした。

 

 

また、良くなってきたと思っていた気分にも波があることに気づきました。

ある日は気分がよく過ごせるのですが、またある日は死にたい気持ちに逆戻り。

毎日気分よく過ごせるわけでもなく、かといってずっと気分が悪いわけでもない。

 

そう、この時期に同時に出始めたのが【混合状態】です。

 

 

ある日は、気分がいいのです。しかし、『その気分がいい』もどこか『イライラ』も含んだ状態の『気分がいい』だったのですが、その時はあまり気にしていませんでした。

とにかく今日は調子がいい。よし、せっかくだから出掛けよう!

こんな調子で車でドライブに行くこともありました。

 

しかし、あくまで混合状態なので、その中に鬱が含まれているのです。

せっかく気分転換に出掛けたのに、なんだか疲れてる。

運転に疲れてしまって途中で「もうダメだ、帰ろう」と思ったのですが、頭痛もしてきて、ひとまず休憩をしないと帰れませんでした。

 

私にとっての頭痛は鬱のサインです。

鬱の時は必ず頭痛がありました。

それに気づいてからは、「あれ、なんだかおかしいぞ?」と確信を持つようになりました。

 

 

朝は調子が悪くても、午後にはなんとなく良くなっていたり、

はたまた、午前中はよかった調子も、午後には悪くなっていたり。

そんなことを繰り返していました。

 

「あれ?私は今どういう状態なの?本当に良くなっているの?薬の効果は?」

自分でも自分の状態がわからなくなっていました。

毎日寝ていなければならないほどの酷いうつ状態は脱したと思います。

しかし、まだ気分の揺れが激しく、ふとした時に落ち込んでいる自分に気が付きます。

かと思えば、調子がよく掃除や料理ができる日もあります。

これを医師に説明を求めたら【混合状態】と言われました。

 

なるほど、これが混合状態なのか。

その時はそんな程度にしか思いませんでしたが、混合状態の大変さはこの後痛感します。

 

 

当時書いた日記が残っています。

それを紹介したいと思います。

「普通と落ち込みが混ざってる。今日は診察の日だった。もうどうしようもなく体も心も辛いと話した。混合状態だから今が一番辛いはずと言われた。

どうしようもなく死にたいと思ってしまうこと、どうやったら死ねるか考えてしまうこと、そんなことを考える自分が怖くて、死にたいという衝動に任せていつか死んでしまったらどうしよう?私は死にたいのだろうか?死んじゃダメなんてこと分かってる。

家族が悲しむことも分かってる。でもそんなことよりも今この瞬間の苦しさを取り除けるなら死を選ぶ可能性もある。それが頭をよぎるのが怖い。

泣き叫んで死にたい死んじゃう助けてと言えたらいいのに。生きたいのに死のうとするから誰かに死なないように見張っていてほしい。

死にたいと口に出せないことが一番苦しい。死にたいくらい辛いのだと分かってほしい。側にいて大丈夫だからと言ってくれるだけでいいのに。

死にたいと口にしてかまってちゃんみたいな自分が嫌。一人で乗り越えると偉そうなこと言って、結局一人じゃ無理で孤独で、なんて自分は愚かなんだと。この愚かさを前にすると結局人に頼ることは惨めで、悩みを吐露するよりも誰にも言わずただ波が過ぎ去るのを待つしかないのか。ただじっと耐え続けたらいつかトンネルを抜けられるかな。

夜な夜なネットで仲間を見つけて同じ痛みを抱える人がいるとわかると安心する。それが一時凌ぎであったとしても。泣きながら眠る夜が増えてもそれでも頼ることで生まれる孤独より一人で耐える孤独の方が100倍いいのだ。衝動的に連絡しようとしちゃいけない。気持ちは一人で抱えたままでいい。嵐はいつか過ぎるのだから。」

 

診察の日の夜、どうしようもないほどの不安が襲ってきて、死にたいと思ってしまった時に書いたものでした。

毎日寝ているほどじゃなくなったにしても、死にたい気持ちが絶えず襲ってきていたことを窺わせます。

 

 

また、こんなことも書いています。

「自分が何をしたいのか、何をしているのか、今どんな状態なのか、わからなくなってる。

油断するとすぐ、さっきまで考えていたことと正反対のことをしそうになる。衝動的にと言えばいいのだろうか。さっきまではちゃんとしてたのに、次の瞬間にはどうでもよくなって、自暴自棄のような行動を取ろうとしたりとか。
これも理性が無くなっているという事なのだろうか。」
 
 
如何にも混合状態だったことがよくわかる内容です。
さっきまでの調子のよさを維持できていない、すぐに鬱になるという精神の不安定さが現れています。
 
 
 
よく混合状態が一番怖い、なんて言われます。
私も振り返ってみて実感としてそう思います。
 
何をするかわからないのです。
 
 
さっきまで気分がよくても、その2時間後には死にたくなっているかもしれない。
しかも、体が動く分、どこにでも行けてなんでもしてしまう恐怖があります。
 
これは、側にいる家族のほうが怖いことだと思います。
さっきまで元気だった人間が次の瞬間には死にたいと思っているなんて、想像しても恐ろしいことです。
しかし、これが混合状態の現実です。
 
 
また、私は当時、こんなことも考えていました。
自分がいつ死ぬかわからないから、遺書を書いておこうと思ったのです。
本当にヤバい人です(^^;
 
自分がいつどんな行動に出るかわからないから、いつ死んでもいいように、自分がどう闘っていたのか、どんなことを考えていたのかをメモに残しておくことにしました。
その当時書いたものの一部が、前回と今回紹介している日記です。
 
そして、それらを携帯やパソコンの中に保存しておいて、携帯とパソコンのロックの解除の手順を書き記したノートとともに、もし私の身に何かあったら見てもらえるように、自室の机に残しておこうと考えていました。
 
よく、双極性障害うつ病の患者さんの、『これをしていたら死のうとしているサイン』としてあげられるものを見事にやっていたのです。
 
 
ただ、当時の私の救いは、積極的に死に急いでいたわけではない、ということだけでしょうか(^^;
それ以外にやっていたことは、まさに【身辺整理】そのものでした。
 
 
 
そんな身辺整理で日記を書いたり、過去を振り返ったりしていた、私ですが、混合状態ののち、ついに単独の躁が出現します。
次回はその辺りのことを書いていこうと思います。

回復期(中期)の症状とどのように過ごしていたか(2)死にたい気持ちとの闘い

さて、今回は人生最悪の鬱期について、書いていきます。

思い出すのもヘビーですが、今は向き合えるくらい元気ですので、どういう経過を辿ったのか書いていこうと思います。

 

 

夏が終わろうとする頃、秋口に差し掛かって、私はうつの真っ只中にいました。

前回書いたように、どうにかして鬱に入らないように努力してみましたがその甲斐むなしく、鬱に突入していきました。

しかし、同じ鬱でも今回の鬱は【今まで経験したことのない人生で最悪な鬱】だったのです。

 

 

急性期や回復期の前半でも鬱状態はありました。

その時の症状は、

  • 全てがスローモーションになる
  • 動作が遅い
  • 頭が回らない
  • 何から手を付けていいのかわからない
  • 順序が立てられない
  • 準備に今までの倍の時間がかかる

といったものでした。とにかく頭に突然ブレーキがかかったように動作がスローモーションになってしまうというのがその特徴でした。

 

しかし、今回は違います。

その決定的な違いとは、【死にたい】という気持ちが絶えず出てくることです。

 

 

どうして、そのようになってしまうのか?

前回の鬱と違ったのは、『頭は回る』ということです。

急性期の鬱は、とにかく動作が遅くなって、明らかに自分でも「あれ?おかしいな?頭が回らないな。フリーズしたパソコンのようだ」と自覚できるくらいでした。

しかし、今回は、そのような頭が回らない』感覚はなかったのです。

いくらでも頭が回ります。

だから、いくらでも嫌な妄想が出来てしまうのです。

 

 

一度死にたいと思い始めると、もう止められません。

なにせ頭は回るので、どんどん嫌な妄想が出来てしまいます。

・どうやったら死ねるか?

・どんな方法があるか?

そんなことをずーっと考えてしまうのです。

 

そんなことを考えてしまう自分が恐ろしくて、でもその妄想を止められなくて、

どうやったら今の状態から抜け出せるのか?どうしたら楽になれるのか?

そう考え始めると、答えはいつも【死】に辿り着いてしまう。

そんな状態になっていました。

 

 

来る日も来る日も、死ぬことばかり考えていました。

毎日、起きられずにベッドの中で一日中「死にたい」「早く楽になりたい」「この状態から早く解放されたい」それだけを考え続けていました。

 

 

急性期は死にたいとは思いませんでした。

頭が回らないので、死を意識することもできないのです。

でも今は違います。

頭はいくらでも回ります。これが急性期との決定的な違いです。回復期の鬱が一番怖いのです。

 

 

当時の日記があります。

その時の心理状態が刻銘に記されていて、かなり切迫感があります。

これを見てもらうと、どれだけ追い詰められていたのかがよく分かると思いますので、

そのまま載せようと思います。

 

 

以下日記の引用↓

「 一人は辛い。寂しい。孤独に耐えられなくなる。家族や友達にも言えない事はある。心配させたくないから言えなくなる。

  でも本当は苦しい。辛い。助けてほしい。怖い。いつか死んでしまうかもしれない。
死にたくないのに。生きたいのに。
  酷い鬱が私を飲み込んでいく。怖い。壊れてしまいそう。助けて。一人でいると何をするかわからない。突発的に死のうとするかもしれない。
  怖い。死にたくない。どこに行けばいいの?
どこにいたら安全?死のうとしなくて済む?
  家にいるのが怖い。何をするかわからない。薬を飲むか、包丁を取り出すか。痛いと思ったら生きたいと思うかもしれない。そのために死のうとするのか。
  家は怖い。危ない。外に出て、どこに行く?遠くに行ったら帰ってこない。近くにいないと。近くて安全な場所。死のうとしても死ねない場所。
  家の近くの橋。あそこなら金網が張ってある。飛び込めない。安全。あそこでずっと座っていようか。
  でも何かが襲ってくる。じっとしているのが怖い。動いていないと飲み込まれる。逃げなきゃ。逃げなきゃ。どこへ?
  誰か捕まえてて。私を捕まえて見張っててほしい。バカなことをしないように。
  死にたくない。生きたい。なのに怖い。苦しい。逃げたい。もう嫌だ。こんな現実いつまで続くの?こんな人生もう嫌だ。死にたい。死にたい。
  希望が欲しい。生きる希望。このために生きたい、まだ死ねない、そう思える何か。漠然とした夢物語じゃなくてもっと身近な、些細な事でいいのに。このために、これを叶えるために生きたい。心の支えになる何か。
  今死ぬことを止める何か。強い動機。衝動に勝てる何か。
  無いのは分かっている。だから辛い。怖い。死ぬことを選ぶ理由はあっても、思い留まる理由が見つからない。
  死ぬのはどんな気分か。死を受け入れるのはどんな気持ちか。」

 

 

如何に自分が死に憑りつかれていたのかがよくわかります。

読み返しても辛いものがあります。

しかし、これが死を選んでしまう人の心理状態なんです。

 

 

死にたいという気持ちは、恐怖から来るものです。

決して、普段から自殺願望があるわけではありません。

ですが、その時

「何かすごく恐ろしいものが自分に迫っていて、今すぐここから逃げないと飲み込まれてしまう」

そんな感覚なんです。

 

その恐ろしいものから逃れるために死を選んでしまう、それがうつ病や双極症患者の実際です。

 

 

急性期のほうが、同じ鬱でも怖くないんです。

よく「回復しかけが怖い」と言われている理由はこれだったのか、と経験してはじめてわかりました。

あの恐ろしい感覚は二度と経験したくありません。

二度と経験したくないがために、私は治療を頑張っているのだと思います。

 

 

この時、実際家から飛び出して、あちこち走り回ったのを覚えています。

とにかく一人でいると何をするかわからない状態だったので、一人で家にいないように、

かといって遠くへ行くと帰ってこないような気がしたので、なるべく家の近所ででも危なくないところへ、と思い外であちこち歩き回っていました。

 

ようやく、夕方になって家族が帰ってくる時間になってから家に戻って、家族がいるからこれで死ななくて済む、と安心したのを覚えています。

 

死ねなくて安心する、という今考えると何とも恐ろしい心理状態です。

しかし、これが鬱の現実でした。

 

 

この恐ろしい心理状態との闘いは、1カ月は続いていたと思います。

のちに混合状態が出現するので、躁とうつの両方が入り混じっている期間がありますが、うつ状態としては死にたい気持ちを抱えたまま、その気持ちと闘っていました。

 

 

鬱単体で考えれば、急性期の鬱のほうが楽です。

寝ることしかできませんし、実際寝ることが一番の薬になる時期です。

 

しかし、回復期の鬱はそうはいきません。

寝ているだけでは回復しません。適切な薬物治療が必要になってきます。

家でじっとしているだけでは、治らないんです。

 

 

死にたいと思い始めたら、危ないサインだと思ってください。

そして、すぐにでも医師に相談してください。

 

家族に言うと余計に心配させる危険性もあります。

よっぽど家族が病気に対して理解が出来ている場合や、家族との信頼関係がきちんとできている場合は言っても大丈夫ですが、そうではない場合、また言いたくない場合は、まず医師に相談するのが先決です。

 

 

私も医師に診察時に相談しましたが、

「家族に言うのは慎重にしたほうがいい、その代わりいくらでも医者に言ってきていいから。困ったときはすぐに電話してね。」

と言われて安心したのを覚えています。

 

 

鬱でどれだけ追い詰められているかは、見た目ではわからないと思います。

本人が言わない限りは、急性期でも回復期でも見た目は同じで、ただ寝ているだけです。

しかし、実態は全く異なるものです。

より恐ろしい回復期を放置すると大変なことになりかねないので、回復期のうつ状態が疑われるときはとにかく一人にならないが重要になってきます。

 

 

離れていても一人にならないことが大切です。

困ったときに頼れる誰かがいるだけで、今死にたい気持ちを乗り越えることができます。

支えてくれる人がいるということは、病気と闘うには大切なことなのです。

私は幸いにして、友人などの力を借りてどうにか乗り越えることが出来ましたが、あの状態は本当に二度と経験したくありませんね。

 

 

今回は死にたい気持ちとどう闘って乗り越えようとしていたか、について書いてみました。

次回も、この続きを綴っていこうと思います。

回復期(中期)の症状とどのように過ごしていたか(1)再びうつへの入り口

さて、前回まで回復期の前期の症状と、どのような経過を辿ったかについて綴ってきました。

今回はその続きです。

回復期前半の躁うつの波


おさらいしますと、

急性期を休職して過ごすものの、会社員が決定的に向いていないことが分かり、会社を退職する決意を固めて意を決して会社に退職しに行ったら、その直後ストレスでうつ状態に逆戻り。体感的に体調が2か月前に戻ってしまった感じだったけれど、知人に仕事を頼まれて1週間だけということで引き受けた。その仕事中も鬱もあり、でも病気になる前の私のように仕事で来た時間帯もあり収穫もあった。その後、仕事の刺激で躁に転じてしまい、家事や運動をしすぎている状態になってしまっていた。

というのが前回までの回復期(前期)でした。

今回から回復期(中期)編です。

 

 

 

躁になっていっていると気づかずに、ただ毎日調子いいな~と思っていた私は、のんきに過ごしていました。

「今はやりたいことは何でもできるし、体も動くし、ストレスもないし、運動もしてるから尚更調子いいはず。絶好調!」

というのが、当時の私の感覚です。

 

しかし、その日々もそう長くは続きません。

躁の後には、必ず鬱がきます。

 

この年は梅雨が長くて、梅雨が明けたと思ったら夏の暑さが急にきて、と思ったらもうお盆過ぎには少し涼しくなって、みたいな年でした。

なので、夏の暑さに慣れる前にもう次の季節がやってきてしまった感じだったんですね。

 

そういう季節の変動が激しいと、普通の人でも体に堪えるのですから、私たち双極症患者は普通の人より自律神経が弱いので余計です。

体がついていかないんですね。

 

 

そう、梅雨の間はよかったんです。

ずっと同じ調子でいれましたから。でも暑くなると途端に調子が狂いだします。

この頃から、徐々に躁状態も崩れ始めます。

 

 

梅雨が明け暑さが急に来た頃、なんとなく調子が下降気味のような?という感じがし始めました。

暑さで食欲が落ちていました。胃痛も復活しました。

寝苦しく、睡眠不足も感じていました。

でも、当時は夏バテかな、くらいにしか思っていませんでした。なにせ調子がいいと信じ切っていたので。

いや、実際当初は夏バテだったのだと思います。それが結果的に自律神経を狂わせて、体調までも狂わせていったのです。

 

 

暑さがまず最初で、そのあと食欲の低下、更に胃痛。そこに寝苦しさから来る不眠が重なって、そうこうしていたらまたあのふわふわ・フラフラする感覚がやってきました。

次第に頭痛が強くなってきて、薬を飲まないといられないほどに頭痛が酷くなってしまいました。

 

頭痛が復活したことで、いよいよ気分も落ち込んできます。

それまではずっと調子がいいと思っていたのが、なんとなく下降気味だな~と自覚し始めます。

イライラするようになったり、頭痛のせいで寝ている時間も長くなりました。

以前のようになってきている自覚はあったものの、それを認めたくない自分がいました。

 

 

私は調子がいい。

以前より体調もずっと良くなっている。

治療の効果が出ているからだ。

薬が効いているからだ。

最近は家事もできるし、運動もしている。

お医者さんに言われたことはきちんと守っている。

薬もきちんと飲んでいるし、間違ったことはしていないはず。

じゃあなんで調子が悪いの?

夏バテのせいで狂ったの?

 

そんなことを考え始めました。

 

 

そんな感じで、調子が狂いだしたことを自覚してはいるものの対策が取れずに、どうにかしてまた浮上させないと、と思っていたところ、家族の些細な一言で、私の感情が爆発してしまいます。

当人には悪気はなく、おそらくそんなことで爆発するとも思っていなかったんでしょうが、こちらは気分が下降していたので、タイミング悪く引き金を引いてしまったということなのでしょう。

ついに、気分の波が正常範囲から逸脱し始めます。

 

「病気になった私が悪いのか」

「私は家族の厄介者なのか」

「私の性格のせいで病気になったの?」

「じゃあどうすればよかったの?」

「どうしていたら病気にならずに済んだの?」

「なんで私なの?」

「早く治したいのに」

「治したいと強く思っているのは私なのに」

「何で治らないの?」

「私の努力が足りないの?」

「日記もつけて運動もしている」

「こんなに努力しているのにまだ足りないの?」

「何がいけないの?」

「私がいけないの?」

 

もう無限ループです。

 

こうなるといよいよ本人も自覚します。

あぁ、鬱に近づいているんだなぁ、と。

 

 

ですが、うつ状態がどれだけ辛いかも知っているわけで、その状態に逆戻りするのも嫌なわけです。

それに、せっかく調子よくなっていたのにまた悪くなるということは、治療の効果が出ていないということになってしまいます。

それが嫌だったのです。

 

治療の成果が出ているから調子が良くなってきているのだと今まで信じていたのに、ここでまた鬱になってしまうと、治療は上手くいっていないということになってしまう。私がやるべきことをやっていないから、もっと努力していればよかったのに、今のままじゃきっと努力が足りないから、また悪くなってしまったんだ、私の努力不足。

つまり、『劣等生』になってしまう。

 

そんな恐怖がありました。

それだけは避けたかった私は、また『努力して』どうにかこの状態から浮上できないか?と考え始めます。

 

 

「きっと、努力が足りないからだ。運動が足りないんだ。もっと調子が悪くても言い訳せずにやればいいんだ。だって運動すれば気分が良くなるし、余計なことも考えずに済むって先生言ってた。」

そう思って、多少調子が悪くても無理にでも起きて運動してみました。

→ 運動している間は気分が少し良くなるものの、そのあと疲れ切って寝てしまいました。

 

 

あとは、ひたすら精神論です。

「自分は甘えているんだ。もっと努力しなきゃいけないんだ。努力すればきっと鬱に引っ張りこまれずに済むんだ。今が踏ん張り時なんだ。

きっと今頑張ればこれ以上鬱が酷くならずに済むはずなんだ。だから何でも思いついたことはやるんだ。寝てばかりいちゃダメだ。運動でもなんでもやるんだ。体にいいと聞いたことは全部やらなくちゃ。」

 

日本人の悪い癖ですね。

精神論で乗り越えられるなら、そもそも病気になんかなっていません。

第一、すでに鬱に足突っ込んでいる状態からいくら踏ん張ってみてもダメです。

もうすでに始まっているんですから、その状態で何かやってもどうすることもできません。

もし対策を取るならもっと初期の、夏バテかな?って思った時に始めていなければダメでした。

いや、夏バテを感じてからではもう遅かったかもしれません。梅雨が明ける時点で、猛暑への対策を考えていなければいけなかったのでしょう。

そのくらい鬱は防ぐのが難しいものです。

 

 

直後の診察でも、同じことを話していました。精神論です。

「自分が甘えているからダメなんだ。今までもやった気になっていたけれど、最近調子が少し悪くなっているのは努力が足りないんです。もっと努力してこの状態を乗り越えたいんです。きっとできるはずなんです。」

そんなことを話していたのを覚えています。

 

 

 

しかし、そんな気持ちとは裏腹に、状態は悪化する一方です。

それまではまだ、朝は起きられていましたが、いよいよ朝も起きられなくなってきます。

昼間も何もしたくありません。

自室で寝ている時間が長くなってきました。

色んなことを考えるのが面倒になってきます。

ただ寝ているのが楽になってきます。

出掛けるのが億劫になってきます。

出掛けても疲れてしまいます。

起きて掃除をしてもすぐ疲れてしまいます。

一日の中で夜が一番調子がいいです。

風邪をひきます。

 

 

こうなってくるともう自力ではどうにもできませんでした。

精神論も通用しません。

起き上がっていることが出来ない状態にまでなってしまったら、もう努力云々ではどうすることもできませんでした。

 

 

こうして私は、再びうつ状態に突入していきました。

しかし、今回の鬱はそれまでとは全く異なったものでした。そして人生で一番辛い鬱でした。

そんな辛い鬱が来るとは知らない私は、ただ「また鬱か」と思っていました。

 

 

 

さて、次回はいよいよ人生最悪の鬱期に突入していく経過を辿ろうと思います。

かなりヘビーな内容になってくると思いますが、これを書かないわけにはいかないので意を決して書こうと思います。

回復期(前期)の症状とどのように過ごしていたか(2)軽躁状態の出現

さて、前回の続きです。

回復期の特に前半について綴っていきます。

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私が回復期と呼んでいるのは1年半程度の期間です。前期というのはその最初の5カ月間を指しています。

波の底辺では正常範囲を外れた鬱の中にかかっていますが、波の高いところ(躁状態)は正常範囲の中です。

なので、躁であっても、「調子がいい」程度の躁なので、本人も躁であることに気づかないのです。

 

 

前回、会社を退職して、会社に退職を申し出たストレスの反動で、鬱に逆戻りした話をしました。

その続きです。

 

 

晴れて無職になった私は、やっと胃の調子も戻ってきたことだし、しばらくは落ち着いた生活をしようと思っていました。

ですが、そんな時に知人から仕事を頼まれます。

 

私の状態は知っていたので、その上で頼まれたので、まぁそんなに難しいことじゃないんだろうと思って引き受けたのですが、これが間違いでした(苦笑)

期間は1週間程度だというので、主治医にも相談し、「1週間なら、現状を把握する意味でもリハビリの意味でもチャレンジしてみてもいいかな」と許可をもらったので、やってみることにしました。

 

しかし、いざやってみたらこれが酷かった。

最初に聞いていた仕事内容とはかけ離れたような仕事ばっかりで、ストレスがたまる一方。

また、私の以前の働きぶりが頭にあるので、遠慮なく仕事を振ってきます。

でも、こちらは病気持ちです。しかも脳の病気です。脳みそが正常に動くはずがありません。更に、退職ストレスで体の状態も2か月前に逆戻りしています。私はそれを決定的に自覚していないまま仕事を引き受けてしまったのです。

仕事の手順を教えられても、守るべきルールや情報の多さに圧倒されて、パニックになって泣いてしまいました。

 

「やっぱり引き受けるんじゃなかった、まだ私には早かった。」

そう何度も思いました。

 

一度うつ状態になると、否定的な言葉ばかりが浮かんできます。

「引き受けるんじゃなかった」

「まだ私には仕事をするには早すぎた」

「こんな私じゃ迷惑をかけるだけだ」

「足手まといが自分のわがままで使ってくれと言っても、通るはずがない」

「私は何もできなかった」

「頼まれたことも満足にできない人間なんだ」

 

様々な否定形の言葉が頭を埋め尽くします。

 

一度鬱になると、もう何をしてもダメです。

朝は起きられないし、起きても頭が働きません。準備に数十分かかります。

調子のいい日と悪い日が交互に来ました。前日頑張りすぎると翌日は朝起きられないんです。

しかし、その知人も私の実情を知っていながら最終手段で私に仕事を頼んできているので、見捨てはしませんでした。

それが何よりの救いでした。

 

収穫もありました。

ずっとじゃありませんが、時々昔の私に戻ったように、情報量が多くても集中して仕事をこなせる時間帯があったのです。

まさに「私が戻ってきた」感じでした。

病気でも、鬱があっても、これだけのことをできる自分もいるんだ、と発見することが出来ました。

 

一週間、出来ないなりになんとか仕事をこなし、そして、解放されてからは何とも言えない達成感がありました。

知人もありがとうと喜んでくれていました。少しは役に立てたのだと思います。

 

 

そんなハードな一週間を過ごした後は、しばらくのんびりしようと思っていたのですが、ここで誤算がありました。

 

仕事をしている最中は、調子のいい日悪い日が交互にきていたので、仕事が終わった後も疲れてしばらくは倒れているんだろうと思ったのですが、

そうはならずに、むしろ脳が活性化してしまったようで、活動的になってしまい『躁』になってしまったのです。

 

それからの日々は、じっとしているどころかあれこれやり始め、遠出もし、とにかく動き回っていました。

 

しかし、本人は躁の自覚はありません。

躁といっても、著しく逸脱するほどの躁でもなく、あくまで正常範囲の中。でも躁であることに違いはありません。

 

 

この頃は、よく掃除をしていました。

普段洗濯と掃除が日課なのですが、それ以外にも床を拭いたり、机の上を拭いたり、サッシをきれいにしたりと、とにかくいつも以上の家事をしていました。

家族もそれには気づいていて、

「掃除をやりすぎちゃダメだよ。疲れてまた倒れちゃうよ。そんなにやらなくていいから。」

と言われていました。

 

確かに、掃除をよくした次の日は疲れて、いつもより多く眠っていました。

でも寝込むほどではなかったので、余計に止まらなかったのです。

 

また、遠出もよくしました。

車で1時間かけて出かけて、遊んで帰ってくるなんてことをしていました。

しかもそれが、午後の2時近くになって突然思い立って出掛けていたのです。

今考えても、少し躁ですよね。

まぁ計画していて朝から出掛けるのも躁ですが・・・。

 

 

運動もよくしました。

ウォーキング、サイクリング、筋トレなど。

これらも1時間以上やってました。

しかも毎日です。

軽い運動を毎日なら分かるのですが、毎日1時間以上のハードな運動をやっていたのです。

 

ウォーキングするのも、近所を一周じゃなくてわざわざ遠出して、湖を一周するなんてこともしてました。

まぁそれ自体はいいことなんですが、躁の時にやっているので、近所じゃなくて遠くに出かけて行ったのだと思います。

 

ジムに出かけて器具を使ってハードに運動してみたり、

その翌日には、遠出してウォーキング、

またその翌日に、サイクリングを1時間以上、しかもアップダウンのある坂道を含むハードな道を1時間以上です。

 

今考えてもやりすぎでした。

毎日運動したほうがいいとは言っても、こんなにやっていたらそれはハイです。

しかし、自覚がないので、周りが止めないとやめません。

といっても、家族もそこまで躁だとは思っていなかったし、私も自覚がなかったので、調子がいいままに出かけては運動していました。

 

 

あと、この時期にハマっていたのが、不用品の処分です。

メルカリやリサイクルショップに不用品を持ち込んで処分したりと、いらないものを売りまくっていました。

部屋をスッキリさせたかったのだと思います。

こういう模様替えをしたり、不用品を売ったり、綺麗にしたい衝動というのも躁状態に起きやすいことです。

思い付きを止められないのです。

 

これも、掃除をしすぎると共通していた部分だと思います。

思い付きでどんどんやってしまうのです。

家族もやりすぎているとわかっていたのかもしれませんが、そこまで極端じゃなかったために見過ごされていました。

 

 

こうして、正常範囲内とはいえ躁状態になっていた私は、それに気づかないままに躁状態の日々を過ごしていました。

躁状態で過ごしていた期間はおそらく2か月半はあったと思います。

これだけ躁状態が長く続けば、もう疑いようもなく双極性障害(双極症)です。

 

ですが、この頃の私はまだ自分が本当に双極性障害なのかどうか、少し疑っていました。

だって、双極性Ⅰ型の人ほどはっきりとした躁状態はなく、自分のどこに躁状態があるのかさっぱりわかりません。

躁状態がある、と言われても、それがどこかわからないのですから、少しは疑いたくもなります。

主治医が言うならそうなんだろうと思って、信じて治療を続けていました。

 

 

しかし、このあと、否が応でも自分が双極性障害だとはっきり自覚する出来事が待っています。

そのことについては、また今後触れていきたいと思っています。

 

 

 

さて、今回は、回復期の前期の続きを綴ってきました。

この頃はまだ、鬱が強く、一度うつ状態になると頭が鈍くなり、手順などの判断が出来なくなっていました。

しかし、そこから回復すると、その反動で躁状態になっていることに気づかずに、躁状態を正常状態だと思い込んで、生活していました。

躁状態は、自覚がないというのは本当だったんだと、あとで振り返って思ったものです。

 

 

次回も、この続きを綴っていこうと思います。

回復期の症状(前期)

回復期に起きていた症状について綴っていこうと思います。

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回復期を図で表すとこのようになります。

急性期との違いが分かるでしょうか?

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急性期はひたすら鬱状態でしたが、回復期になると調子のいい時は正常範囲に入ってきます。

波の底辺も急性期の頃より上がっていますので、症状名が同じでも、症状の出方が弱かったり、緩やかになるようになってきます。

 

 

回復期に出ていた症状を書いていきます。

 

鬱状態

  • 頭痛
  • 胃痛
  • 朝起きられない
  • 頭が働かない
  • 判断力が鈍る
  • 一度にたくさんの情報量があるとパニックになってしまう
  • 不安になって泣く

 

躁状態

  • 遠出をする
  • 家事を3つ以上したがる
  • 薬は飲まなくてもいいんじゃないかと思う

 

 

一つずつ見ていきます。

 

・頭痛

これは回復期の特に前期におきていました。会社に退職の申し出をして以降、体調が一気に悪くなって、それまで安定していた体調が2か月前に逆戻りしました。

その際に頭痛も復活しました。

会社に退職を言いに行った際に、滞在時間はものの30分強だったと思いますが、その間にどんどん体調が悪化して、頭痛も出てきて、家に帰り着くころには酷い頭痛で、そのまま布団にバタンキューでした。

 

・胃痛

これは、会社に退職を申し出て以降翌日から、胃痛が復活しました。

会社に行ったことが相当のストレスだったようで、翌日以降ご飯が食べられなくなり、せっかく急性期を乗り越えて体重も戻ってきたところだったのに、また痩せていってしまいました。

この胃痛で食べられない状態はそれ以後3週間程度は続きました。

 

・朝起きられない

これも、会社に行った翌日から復活しました。

胃痛とダブルで来たので、また気が滅入りました。

 

・頭が働かない

・判断力が鈍る

 これは、一時的に強いうつ状態に陥ると、頭が働かない状態が出ていたように思います。

翌日の準備するのに、まず今先に何を準備するべきか、お風呂に入るべきか、その前に服を準備するべきか、手順がわからなくなってしまうのです。

この状態は、急性期だけのものかと思っていましたが、回復期に入っても出てきた症状でした。

回復期の後半では出なくなっていたので、やはりまだ頭が働かない状態というのは、治療の前半期間に起きていたことのようです。

 

・一度にたくさんの情報量があるとパニックになってしまう

 これは、上記とも関係してくるのですが、回復期の前半に、試しに仕事をしてみようと思ったことがあります。

知り合いに頼まれて、簡単な仕事だというので、こちらの事情も話したうえで引き受けたのですが、その際に、仕事の手順を話されて、その情報量の多さに圧倒されてしまい、パニックになって泣いてしまったことがあります。

 

それまでの私を知っている分、これくらいならできるだろうと相手も思って仕事を頼んだんでしょうが、とてもじゃないけれど以前の私との比較はできないほどに、私の能力(脳力)が落ち込んでいました。

そのことに自分自身もショックを受けて、

「引き受けるんじゃなかった、とてもじゃないけど務まらない、今すぐに辞めさせてもらおう、このままじゃ迷惑をかけるだけだ」と思ったのを覚えています。

 

結局、その際は、泣くだけ泣いて、1時間くらい経って気分が落ち着いてから、もう一度情報を一から整理して、できることからやることで、落ち着きを取り戻しました。

 

なので、一度にたくさんの情報量を与えるとパニックにはなりますが、それで何もできない状態になるわけではなくて、ごくごく簡単なことならばできる、ということもわかりました。

 

 

・不安になって泣く

 上記とも関連しますが、不安になった際におもわず泣いてしまうことは多々ありました。

これは急性期もそうでしたが、些細なことで落ち込んだり、悲しんだり、感傷的になりやすし時期なんだろうと思います。

 

仕事を引き受けたことで、最初こそやる気に満ちていたのですが(今振り返れば、一時的に躁だったのかもしれません)、次第に元気をなくして自信もなくなり、「引き受けるんじゃなかった、私には務まらない、まだ早すぎた」と思って涙が出てきました。

躁の反動で鬱になったとも考えられますが、うつ状態になるととにかく悲観的になり、自分はダメだという思考に憑りつかれて、次第に泣けてくる、というのがいつものパターンでした。

 

 

 

 回復期に入ると躁状態も出てきます。

急性期のように、ひたすらうつ状態ではなくなるため、波の高いところは正常範囲に入ってきます。つまり、本人的には調子がいい状態が出てくるわけです。

しかし、これはその時点での躁状態です。

底辺はうつ状態にかかっている以上、いくら正常範囲であっても躁状態には変わりありません。これを見逃してしまうので、そのあとのうつ状態への備えがみんなできないのです。

 

躁状態の症状を見ていきましょう。

・遠出をする

これは気づかずによくやってました。調子がいいので、気分転換にと思って遠くまで出かけて遊んで帰ってきたりしていました。

確かに気分転換にはなっていたと思いますが、今考えれば正常範囲での躁状態でした。なので逸脱しすぎる躁じゃない分気づけずに、その後反動で鬱がきました。

 

・家事を3つ以上したがる

私はいつも、洗濯をすることと掃除をすることを日課にしています。

しかし、それ以上に家事をやりたがる日があって、そういう時は大体躁でした。

2つ以上の家事、例えば床拭きをしたり、机の上をきれいにしたり、サッシの溝をきれいにしたり、などをし始めると、よく家族に「そんなにやらなくていいよ。明日倒れちゃうよ。」と言われ注意されていました。

実際に倒れるまではいきませんが、翌日は少し疲れが出て寝ている時間が長かったりしました。

 

・薬は飲まなくてもいいんじゃないかと思う

これは一番危ない思考です。ですが、本人は調子がいい分、このまま治ってしまうんじゃないか?くらいに思っています。本気でその時はそう思っています。

あくまで、その時調子が安定している(と本人が思っている)だけで、実際はただのその時点での躁状態です。

しかし、この調子がいつまでも続くように思えてくるし、実際毎日調子がいいとなってくると、本人はどうしても「薬は必要ないところまで来ているんじゃないか?」と考えてしまいがちです。

ですが、そのようなことを本人が言ってきたら、絶対に止めてください。

薬は絶対に止めちゃダメです。

薬を飲んでいるから、調子のよさも維持できているのであって、薬を止めたらその調子のよさは一瞬でなかったことになります。

 

私は幸い、薬を止めたことはないのですが、薬を飲まなくてもいいんじゃないか?と一瞬でも考えた自分が恐ろしくなりました。

そう考えたことによって、自分が躁状態にあることを自覚した、とも言えます。

 

 

躁状態は、本人には調子のいい状態でも、かならず、躁を見極めるサインは出ています。

私の場合は、この3つでしたが、それ以外にも個人個人で何かしらのサインはあると思います。

それを如何に見極められるかが、躁状態をコントロールするカギになってくるので、家族や周囲の人がそのサインを見つけてくれたら、その人の意見に従いましょう。

 

といっても、本人には、今躁状態にある、と言っても「え、うそでしょ?そんなわけない、だって調子いいもん」としか思いません。

これはどう頑張っても、そうとしか思えないんです。

なので、躁状態はやっかいなのです。

 

ですが、周囲の人が根気よく説明する、説得してくれたら、本人も渋々かもしれませんが、了承してくれるかと思います。

まずは、約束させることが大事です。

 

例えば、

・家事を3つ以上しないと約束させる。

・遠出をしないと約束させる。

・薬は必ず飲むと約束させる。もしくは薬の管理を家族がする。

 

このように、躁状態を見抜いたら、家族が助けてあげましょう。

というか、本人は気づかないので周囲がコントロールするしか方法がないのです。

しかし、放っておくと悪化するのは目に見えています。

とにかく躁が目に付いたら放っておかない、すぐにでも介入するというのを覚えておいてください。

 

 

今回は、回復期の特に前半に出ていた症状を振り返ってきました。

次回も、この続きを綴っていこうと思います。

回復期(前期)の症状とどのように過ごしていたか(1)会社を退職する

さて、今回から、回復期に入ってからどのように過ごしていたかを綴っていこうと思います。急性期から一つ進みました。

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回復期を図に表すとこのようになります。

急性期と比較すると明らかな違いがあるのがわかるでしょうか?

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波の底辺の位置が少し上がっているのがわかります。そのため、全体に波が押し上げられて、波の高いところが正常範囲にかかってきています。

これが回復期です。

 

 

急性期はおよそ3か月くらいだったと思います。

その間に、会社員が向いていないとわかり、会社を辞めることを考え始めたのが急性期の終わりごろでした。

 

回復期に入って、さっそく会社を辞めることを真剣に考え始めます。

この頃はだいぶ判断力も回復してきたので、『決断』しても大丈夫だろうと主治医のお墨付きもありました。

 

『決断する』という作業も、急性期の時には絶対にしてはいけないことのひとつでした。

急性期は判断力が鈍っているので、その時に周りも大きな決断を迫るようなことをしてはいけないし、本人も回らない頭で決断はしてはいけません。判断力が鈍っているのに冷静な判断なんてできるはずがないからです。

しかし、急性期を過ぎればそれも落ち着いてきます。

回復期に入る頃には生活も落ち着いてきて、判断力も少しずつ戻ってくるからです。

 

 

回復期に入って、私は少し遠出もできるようになりました。

友人に会って、近況を話したり、これまでの経緯や今後のことを相談したりしました。

気の置けない友人と会うのは、気分転換にもとてもいいことです。といっても、はしゃぎすぎには注意ですが。

 

はしゃぎすぎると一時的に躁になってしまします。

この時期はまだ、急性期よりはマシになっているというだけで、まだまだ『体力』がありません。

体の体力もそうですが、『心の体力』とでもいうものがついていません。

心のアップダウンにまだついていけないため、はしゃぎすぎると翌日死んだように眠る羽目になります。反動がすごいのです。

 

 

また、会社を辞めることを考えると、それはそれで胃が痛くなったりもしていました。

その場面を想像するだけで、

「こんなこと言われたらどうしよう。なんて言えばいいんだろう」

とか

「こんな風に思われていたらどうすればいいんだろう」

などと、言われてもいないことを妄想しては自分で苦しんでいました。

 

気がおかしくなりそうだと主治医に泣きついたりもしました。

主治医には、

「それは想像でしかないよね?実際にその場面になってみないとそうなるかはわからないでしょ?

これを言われたら嫌だ、というのがあるならば、先に「私は今はこういう状態なので、○○のようなことを言われると動揺してしまいます。ですので、そういういい方はしないでいただきたいです」って言っちゃえばいいんだよ。

手紙でもメールでもいいから、会社に実際に行く前に、そう伝えてしまう。そうすれば、嫌なこと言われずに済むでしょ?

どうやったら動揺せずにやり過ごせるか、自分を守るために自己主張するのも大切なことだよ。気を遣って自分を押し殺して、その結果病気になったわけでしょ?だったら変えないと。

あとになってあれが嫌だったこれが嫌だったというのは卑怯なんだ。嫌なことは先に言う。その場で言う。これも大切な訓練だよ。」

と諭されました。もっともだなと思います。

 

 

かくして、会社を辞める決意を固めて、何をどのように伝えるかもしっかり決めて、いざ会社に行きます。

 

話し合いはすんなり終わりました。

こちらが拍子抜けするぐらい、あっさり了承してもらえました。

しかし、問題はここからです。

  • 私が会社員が向いていないから辞めるという事情まではわかっておらず、あくまで精神疾患のせいだから、治ったらまた働けばいいと言われる(ありがたい話なんだけど)。
  • お茶飲んで行けと言われて、ほかの職員とも顔を合わせてお茶を飲まされる
  • そうこうしている間にどんどん体調が悪くなって、荷物の片付けもそこそこに強制退出になる
  • 帰りの車の運転中から頭が割れるような頭痛に襲われて、這う這うの体で帰宅する
  • 布団にバタンキュー

でした。

 

あんなひどい頭痛は生まれて初めてでした。

頭が痛すぎて運転できないなんて、それも今までで経験したことのないほど強烈な頭痛でした。

会社に行く、退職を申し出るというのは、それだけのストレスのかかる出来事だったんだろうと思います。

そうやって、どうにか家に帰り着いて、すぐ頭痛薬を飲んで寝たら、その日はとりあえず回復しました。

 

 

しかし、地獄はここからです。

 

その翌日から、胃が痛くてご飯が食べられなくなりました。朝も起きられません。

それまでの体調の安定はどこへやら、2カ月前に逆戻りです。

また毎日うどんやら胃に優しいものしか食べられない日々に戻ってきてしまいました。

 

食べられないというのは、とにかく辛い。食べられないせいで、元気までなくなります。

今日は食べられそう、と少し調子に乗って食べ過ぎると、翌日また食べられなくなります。そんな日々が3週間は続きました。

胃薬飲んでるんですけどね。それでも簡単には治ってくれませんでした。

 

 

その間にも、会社に、回収しきれなかった私物の郵送をお願いしたり、書類のやりとりをしたりと、またストレスがかかることが続きます。

最終的に会社には、こちらの事情(心情も含めて)説明し、最低限のやりとりに抑えてもらうことにしました。

会社は悪くないんですけどね。ただ会社とやりとりをすると、どうしても会社にいた頃の遠慮して言いたいことが言えない自分に戻ってしまいます。

会社に気を遣ってしまって、ずけずけと物が言えない自分が出てきてしまうので、しかし今回ばかりは、これも訓練と思って、こちらの事情をずけずけと言うことにしました。

そうしたら少しスッキリしました。ストレスも減りました。

この頃から、胃の調子も落ち着いてきたように思います。

 

 

胃の調子が落ち着いてからは、少しずつ元気を取り戻していきました。

また朝起きて洗濯と掃除ができる日々が戻ってきました。

なによりご飯が食べられる、それだけで素晴らしいと思いました。

 

 

そうして、どうにかこうにか無事に退職手続きを終えることができました。

晴れて無職です(笑)

 

 

この頃に出ていた症状をまとめてみようと思います。

・頭痛

・胃痛

 

症状としては少ないです。しかし、頭痛は強烈でした。

あと、胃痛も今回は長く続きました。

どうにか治まってくれて本当によかったと思います。

 

 

今回は、回復期の経過を綴ってきました。次回もこの続きを綴っていこうと思います。