回復期(中期)の症状とどのように過ごしていたか(3)混合状態の出現
前回は、死にたい気持ちが繰り返し襲ってきた鬱期の話をしました。
今回はその続きです。鬱の後の経過を綴っていきたいと思います。
死にたい気持ちを毎日抱えたまま寝ていることしかできなかったのですが、ある日の診察で主治医と話した結果、薬を増やすことになりました。
飲んでいたラモトリギンを今まで1錠だったものを2錠に増やしました。
「これで良くなる。」そう思いました。
効果は割と早く出ました。
気分が上向きになってきて、毎日寝ていたのが日によっては気分もよくなり、出掛けたいと思えるようになりました。
実際、それまで寝ていることしかできなかったのが、近所を散歩したり、運動したりといったことが出来るようになりました。
こんなに早く結果が出るのなら、自力でどうにか鬱にならないようにしようなんてバカな事考えずに、我慢せずに薬を飲めばよかった。
そう思いました。
しかし同時に、なんだか体がおかしな方向に行き始めました。
まず、酷い肩こりに見舞われました。
どうも背中から肩の辺りが張ってしまって、痛いのです。
それと、酷い便秘です。
薬を増量してしばらく経って、どうにもお腹の張りがすごくて、苦しくなってしまいました。ガスも出ません。
しかし、そういったことは薬の副作用としては書いてありません。
しかも今までも飲んでいた薬です。今回初めて飲んだ薬ではありません。
量を倍に増やしただけでそんなに変わるの?と疑問に思いましたが、どうやら私は薬の量に敏感に反応するタイプのようで、自律神経が狂ってしまったのか、そういう症状が出てしまったようでした。
また、良くなってきたと思っていた気分にも波があることに気づきました。
ある日は気分がよく過ごせるのですが、またある日は死にたい気持ちに逆戻り。
毎日気分よく過ごせるわけでもなく、かといってずっと気分が悪いわけでもない。
そう、この時期に同時に出始めたのが【混合状態】です。
ある日は、気分がいいのです。しかし、『その気分がいい』もどこか『イライラ』も含んだ状態の『気分がいい』だったのですが、その時はあまり気にしていませんでした。
とにかく今日は調子がいい。よし、せっかくだから出掛けよう!
こんな調子で車でドライブに行くこともありました。
しかし、あくまで混合状態なので、その中に鬱が含まれているのです。
せっかく気分転換に出掛けたのに、なんだか疲れてる。
運転に疲れてしまって途中で「もうダメだ、帰ろう」と思ったのですが、頭痛もしてきて、ひとまず休憩をしないと帰れませんでした。
私にとっての頭痛は鬱のサインです。
鬱の時は必ず頭痛がありました。
それに気づいてからは、「あれ、なんだかおかしいぞ?」と確信を持つようになりました。
朝は調子が悪くても、午後にはなんとなく良くなっていたり、
はたまた、午前中はよかった調子も、午後には悪くなっていたり。
そんなことを繰り返していました。
「あれ?私は今どういう状態なの?本当に良くなっているの?薬の効果は?」
自分でも自分の状態がわからなくなっていました。
毎日寝ていなければならないほどの酷いうつ状態は脱したと思います。
しかし、まだ気分の揺れが激しく、ふとした時に落ち込んでいる自分に気が付きます。
かと思えば、調子がよく掃除や料理ができる日もあります。
これを医師に説明を求めたら【混合状態】と言われました。
なるほど、これが混合状態なのか。
その時はそんな程度にしか思いませんでしたが、混合状態の大変さはこの後痛感します。
当時書いた日記が残っています。
それを紹介したいと思います。
「普通と落ち込みが混ざってる。今日は診察の日だった。もうどうしようもなく体も心も辛いと話した。混合状態だから今が一番辛いはずと言われた。
どうしようもなく死にたいと思ってしまうこと、どうやったら死ねるか考えてしまうこと、そんなことを考える自分が怖くて、死にたいという衝動に任せていつか死んでしまったらどうしよう?私は死にたいのだろうか?死んじゃダメなんてこと分かってる。
家族が悲しむことも分かってる。でもそんなことよりも今この瞬間の苦しさを取り除けるなら死を選ぶ可能性もある。それが頭をよぎるのが怖い。
泣き叫んで死にたい死んじゃう助けてと言えたらいいのに。生きたいのに死のうとするから誰かに死なないように見張っていてほしい。
死にたいと口に出せないことが一番苦しい。死にたいくらい辛いのだと分かってほしい。側にいて大丈夫だからと言ってくれるだけでいいのに。
死にたいと口にしてかまってちゃんみたいな自分が嫌。一人で乗り越えると偉そうなこと言って、結局一人じゃ無理で孤独で、なんて自分は愚かなんだと。この愚かさを前にすると結局人に頼ることは惨めで、悩みを吐露するよりも誰にも言わずただ波が過ぎ去るのを待つしかないのか。ただじっと耐え続けたらいつかトンネルを抜けられるかな。
夜な夜なネットで仲間を見つけて同じ痛みを抱える人がいるとわかると安心する。それが一時凌ぎであったとしても。泣きながら眠る夜が増えてもそれでも頼ることで生まれる孤独より一人で耐える孤独の方が100倍いいのだ。衝動的に連絡しようとしちゃいけない。気持ちは一人で抱えたままでいい。嵐はいつか過ぎるのだから。」
診察の日の夜、どうしようもないほどの不安が襲ってきて、死にたいと思ってしまった時に書いたものでした。
毎日寝ているほどじゃなくなったにしても、死にたい気持ちが絶えず襲ってきていたことを窺わせます。
また、こんなことも書いています。
「自分が何をしたいのか、何をしているのか、今どんな状態なのか、わからなくなってる。